の旅エッセイ

昨年の春、父が死去しました。
とても、文章を書くことが好きで、旅行も好きな父でした。
亡くなった後、ノートが出てきました。
あちこちに旅をしたことを綴ったものでした。
でも、当初は悲しみの深さが強すぎて読むことができませんでした。
一周忌が終わった時点でも、まだ読み返す勇気ができませんでしたが
ようやく、2005年11月に手にして読みました。
涙が留めなく流れました。
昔行った四国八十八ヶ所・東北の旅・北海道の旅の記録、エッセイがノートびっしりに
書かれていました。
少しずつですが、パソコンに書き写していきたいと思います。


四国八十八ヶ所の旅NO.1

今までに自分の考え方、幼い頃からの思い出
人々の出合い、別れ、喜び、悲しみ、憎しみ等を色々と
書き残し、又、創作などと心の中で思いつつ文章にしなかった若い頃に一時的に
ラジオドラマの脚本を書いた事があるが今にして思えば良くもつまらない物を
書いたものだと赤面を止めることはできない。
私も今年は61才。
去年8月から厚生年金が支給されるようになり、失業期間のように肩身の狭い思いをしなくても
月23万税金等を差し引いても21万円余の月収入はあるし女房も働く元気があり
月収入が18万円程度あるし病気等での支出がなければなんとか余裕のある生活ができるから
好きな旅行でも行こうかなと思った次第である。
旅行も高知から新居浜に出戻ってから日本全国めぼしい所に行った。
これはと言って行きたい所もない。
以前から四国八十八ヶ所巡拝の話を聞いて一度
廻ってみたいと考えていたし、亡くなった礼子の三回忌に今年は当たるし、亡母の三年法要時に
松山木屋町にある円福寺の住職からあなたのお母さんは業が深いので四国八十八ヶ所巡礼で
冥福を祈ってあげたほうが良いですよと言われた事もあり
その時は別に意に止めなかったが、今は私も老人になり死というものが
身近に迫ってくると四国巡礼は私にとって必要な人生の一コマであると考えた。
巡礼中に色々な触れ合って語り合っている中に私に無く又失っているものを
見せてくれるかも知れないと甘い期待をもっていた。
新聞の折り込み広告にあったせと観光社の四国八十八ヶ所巡礼ツアーに募集し、資金は
家から10万円出してもらい後は私のヘソクリで何とかなるだろうと巡拝を開始した。


3月7日
阿波一泊2日(1番〜17番)
朝から小雨が降っていた。
快適な巡拝の第一歩とは云えないが次第に天気も回復するだろうと5時半に早起きをした。
眠たい目をこすりながら下池田のバス停でツアーバスを待っていると
中型マイクロバスがやって来たが、待っている私の前を通り過ぎて行ったので
思わず片手を上げて”待て”の合図をした。
バスは今西石油店の前で止まった。
添乗員の近藤氏が”スミマセン”と言いながら降りて来た。
私は軽く”いやいや”といなしつつバスに乗った。
この中型マイクロバスは新居浜上部から東の人が乗るとのことである。
知った人はいない。
私は一人なので最後部の席に座った。
以来ずっとどのバスでもこの位置を取った。
バスは土居、川之江と停まり乗客を乗せて一路阿波をめざして進んだ。
今回のコースは10番切幡寺を最初として逆打ちで霊山寺(1番)まで行き
翌日は17番井戸寺から又、逆打ちして11番藤井寺を最終とする予定である。
阿波路に入っても雨は止まない。
私は雨男なので旅に出れば大抵雨にあっている。
天気が良ければ巡拝の第一歩が快適なものであったと思った。が、お天とう様これ以上
機嫌を悪くして大雨にならないように祈るより外ない。
バスはお花権現ドライブイン(http://www2g.biglobe.ne.jp/~yosy/topo2.html)でトイレ休憩で停車し、切幡寺をめざして出発した。
今にして考えれば3月7日を皮切り5月11日まで飛び飛びの日曜巡拝めいた番外を入れて90ヶ所の四国八十八ヶ所巡拝の中で
記憶にあるのは息を切り足を痛めながらお参りしたお寺である。
町の中にお寺や1q以内に数ヶ所ある寺院は唯、札所であるから行った位しか覚えていないものである。
ボケ始めた頭の中の記憶をたどりながら巡拝の思い出等を綴ってゆくことにしよう。

10番切幡寺

http://f46.aaa.livedoor.jp/~taxi/junrei/10/kirihata.htm

最初の参拝寺である。
バスを下りて土産物店で、白衣、奉納袋を買った。
白衣を着て奉納袋を下げると遍路さんになった感がするものである。
金剛杖をと考えたが長くて一寸じゃまになるので買うのを止めにした。
山門まで800mゆるやかな山道を歩いて行くと途中で参拝を終えた人々に会う。
互いにあいさつを交わしながらすれ違う。
お四国を巡る人々は和やかな心の持ち主が多いなあと思った。
山門に着く。
古びた半ば壊れそうな門の両端に仁王様が寺を守っていた。
山門を入るとそこからは長い石段を登る。
雨は降ってくるし、肥満体でもあるし石段を上がりながら、この様にしんどいなら
今回で巡拝は中止してやろうかとも考えた。
だが、私よりずっと年をとった女の人が、また、同年輩で足の悪い人も頑張って石段を
一歩一歩上がって行くのを見るとまだまだ俺は頑張らないといけないと心をはげまし途中で
息をつきながら本堂、大師堂に到着。
お札を納めて下山する。
門前の土産物店でお茶の接待を受ける。
疲れ、また雨にぬれた身体に呑んだ茶湯の味は格別であった。

9番法輪寺

http://f46.aaa.livedoor.jp/~taxi/junrei/9/hourinji.htm

330段の石段を上り下り、往復2qを歩き疲れた切幡寺を後に法輪寺へと向かう。
せまい道をバスは軒に当たりそうになりながら上手に走って行く。
小さな町並みを抜け田園に出る。
その中に法輪寺があった。
平坦な道を五分程度歩くと寺に入った。
平凡な寺であった。


8番熊谷寺

http://f46.aaa.livedoor.jp/~taxi/junrei/8/kumatani.htm

雨はようやく小降りになってきた。
吉野川の流れの音を聞きながら参拝する。
このあたりから、巡礼をしているとの感じがしてきた。
はじめは、観光の気分であったが、二、三回の巡拝の体験者が多くおり
同乗者の熱心な信仰のふんいきにつつまれてきたためであろうか、自分もお大師さまと
同行二人であると言う気持ちがしてきたのである。

7番十楽寺

http://shikoku-net.co.jp/88/8807.htm

せまい町並みを通り、中型バスは門前まで行くことができるということで
安気にしていたが、途中の道に大木が倒れて除けることができないので、歩いて行ってくれとのことで
1km程を歩く事になった。
 途中の道路にけやきの木であったろうか、何か大木が覆いかかるような状態で
倒れかかっていた。
木の空間を通って寺に参拝した。
大きく立派な構えの寺院である。
寺は周囲に松や杉の大木があり、重みを加えていた。

6番安楽寺

http://shikoku-net.co.jp/88/8806.htm

平坦な場所にあり、四国随一の宿坊をもっていると
いわれたが、その通り立派なホテル並みの建物であり
まだ増築工事が行われていた。
 お寺さんも事業に懸命で坊主まるもうけで
上手に立ちまわれば笑いが止まらないように
もうけがあるらしい。
このようなお寺は有難みが少ない。

5番地蔵寺

http://shikoku-net.co.jp/88/8805.htm

お寺を次々と廻ると同じような構えのように思われ頭がマヒしたようになり
印象が薄くなり感激が次第に弱まってくる。
お寺のありがたさ以外に付属施設の方が強く記憶に残る事がある。
思い返せば、なるほど旅に疲れた人の心をいやす、何かを考えて
お寺には花とか植木、彫刻等、話題になるものが存在していた。
このお寺には「五百羅漢」があった。
時間の余裕がなかったので、ざっと通り見をしただけであったが
作った人の心の一つ一つがよく表されている像だと思った。
機会があればゆっくりと拝観したいものである。



次回に続く
(いつになるかわかりませんが、少しずつ更新していきます))

関連リンク

四国八十八ヶ所

四国八十八ヶ所の旅NO.1
四国八十八ヶ所の旅NO.2
四国八十八ヶ所の旅NO.3
四国八十八ヶ所の旅NO.4
四国八十八ヶ所の旅
NO.5

四国八十八ヶ所の旅NO.6

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