の旅エッセイ


四国八十八ヶ所の旅NO.6
22番平等寺

疲れた身体をバスのシートに乗せて休みしばらくすると田園地がひらけ寺についた。
せまい参道を歩いてゆくと路地に作ったような小さな寺に入る本堂の入り口には
ギブス、松葉杖等身体障害の器具が一杯奉納されていた。
願をかけて治った人達のものである。
お篭り堂のような感じのする寺である。
うなぎの寝床のような本堂、うすぐらい所にある大師堂に参り寺を去る。
道ばたの無人売り場でみかんを買う。


23番薬王寺


バスを降りた頃はあたりは薄く暗くなりかけていた。
お寺の付近は土産品の店や商店が並び厄よけに来る人達で賑う門前町と言った感がする。
雨はまだ止まない。
一年遅れではあるが厄よけの坂をのぼり厄をおとす。
坂には数多くの一円玉が置かれていた。
この寺のまわりは全く小ぎれいにしている。
そのように町の人、寺の人達が努力しているのであろう。
鶴林寺の周囲、特にトイレが清潔であった。
寺を守る人達の心がまえが大切なのであろう。


鯖大師

薬王寺を出て40分余りで到着。
あたりはすっかり暗くなっていた。
納札を早々とすまして、宿坊に入る。
此処の宿坊も大きな構えである。
薬王寺には民間の旅館があるが宿坊の方が安いので次第に規模が
大きくなってきたのであろう。
大広間に20名位が押しこまされるのが始めから覚悟しているので辛抱する。
食事は魚肉もあり、極楽寺と同様である。
難所の参拝で身体がクタクタになっているので
夕食に出してくれた般若湯に酔ってぐっすりと眠れた。
朝は6時から勤行がある。
住職が寺の由来を次のように語っていた。弘法大師が小さな漁村に通りがかり
腹が減っていたので、馬の背に鯖を積んで運んでいる人に鯖を所望したが断られた。
馬子がしばらく道を行くと馬が急に腹痛なのか倒れてしまった。
馬子はさっきの坊さんに魚をあげなかったせいだと思い魚をもって
坊さんに追いつき食べてくださいと差し出した。
弘法大師はその魚を海に流した。
死んでいた魚が水に入ると生き返り泳ぎだした。馬子はこの人はただ者ではない弟子に
してもらおうと後を追った。
丁度この寺がある付近で大師に追いつき頭を丸めて仏門に入り
堂を立てて一生を堂守となって送ったとの事である。
 弘法大師を粗末にあつかいながら番外札所として賑っているのもこれ又、大師のおかげと言うべきであろう。


鯖大師出発 7:30

いよいよ土佐路への旅が始まる。
次の最御崎寺(ほつみさきじ)http://f46.aaa.livedoor.jp/~taxi/junrei/24/24z.htmまで70q余り長い海岸線に
沿って走るコースで風光明媚な場所である。
天気も良くなるし言うことなし!車窓から見える遠くの島々、波うちよせる白浜、私の目を楽しませてくれる。
車内では長時間の乗車で退屈させないように、鶴林寺に参拝し奇蹟を得た人の体験談のテープを流していた。
長年、妻がカリエスで病床についているので何とかして治して見たいと努力し
終に仏の慈悲にすがろうと四国巡礼を幾度か繰り返したが
一向に妻の病気は良くならない。
その姿を見て妻はどうせ治らないものなら死んでもいいから
一緒に四国巡礼に連れて行って下さいと頼み、身内の者たちと水盃を
交わして出発した。
色々と苦労しながら20番の鶴林寺を参拝して、石段を下りようとした時
後から突かれて石段から落ちた。
夫が手を貸し起こそうとすると妻は私は一人で起きて見ますと言ってようやく立ち上がった。
今まで身体をのばす事が出来なかった妻が立ち上がったのを見て
夫は驚き喜び、二人は抱き合って泣いた。それからは夫婦共歩いて後の札所を廻り自宅に着いた。
大師さま、仏さまの功績は広大無辺である。
この二人は鶴林寺までの道をどのようにして来たのであろうか。
車で、又は夫が妻を負んぶしてか。話を色々と考えると不明な点があるが
何にしても信じると言うことは強い力である。




次回に続く

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